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大阪地方裁判所 昭和31年(行モ)1号 決定

申請人 太融寺

被申請人 大阪市長

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

理由

申請人は「被申請人が昭和三一年四月一八日付で申請人に対しなした別紙目録記載の工作物を同年六月一日までに除却すべき旨の命令は、本案判決言渡までその執行を停止する。」との決定を求め、その理由の要旨として次のとおり述べた。

申請人は高野山真言宗に属する寺院であるが、昭和二二年二月一日、その所有する大阪市北区兎我野町七番地、境外地二六〇坪(以下本件境外地と称する。)のうち、(一)二六坪一二を藤田建次郎に、(二)二〇坪〇二を山本正信に、いずれも期間を一年、但し都市計画実施等の際は右期間中といえども申請人において契約の解除をすることができ、借地人等は右計画の実施等により指定された換地上に権利を要求することができないこと、及び各地上に建築する建物は仮設建物に限る、との約定で賃貸し、また昭和二四年一月一日に本件境外地のうち、(三)六四坪三二を沢谷政三に、(四)二一坪五二及び(五)五六坪八七を浦田光信に、(六)二九坪七五を宮本市太郎に、(七)三六坪四を高田紋八に、いずれも期間を五年とする外は前同様の約定で賃貸した。しかし申請人は右賃貸につき、いずれも信徒総代の同意及び所属宗派高野山真言宗主管者の承認を得ていない。その後右借地人はそれぞれ各地上に仮設建物を建築所有していたが、(三)の土地については昭和二六年頃前記沢谷より山本福男に対し、(四)の土地については昭和二四年頃前記浦田より青柳八郎に対し、(六)の土地については昭和二五年頃前記宮本より田口昌蔵に対し、(七)の土地については同年頃高田より小田敏雄に対し、それぞれその賃借権及び地上仮設建物が譲渡されたので、申請人は各譲受人に対し前記約定を確認させた上、その賃借権の譲渡を承認した。ところが被申請人は申請人に対し、昭和二四年四月二八日付書面を以て本件境外地を合名会社阪口楼のための換地予定地とする旨指定し、該書面はその頃申請人に到達した。そして申請人は昭和二七年頃から屡々、被申請人より本件境外地の明渡を要求され、都市計画が実施されるに至つた。そして本件賃貸借は、申請人において信徒総代の同意及び所属宗派主管者の承認なくしてなしたのであるから、その当時施行の旧宗教法人令一一条の規定によつて民法六〇二条所定の五年の期間しかその効力がなく、従つて前記(一)及び(二)の土地については昭和二七年一月三一日を以て、(三)乃至(七)の土地については昭和二八年一二月三一日を以て、各期間満了によりその賃貸借契約が消滅した。仮にそうでないとしても、前記の如く本件土地に対し都市計画が実施されるに至つたので、申請人は前記特約に基き(二)及び(七)の土地については昭和二七年頃、その他の各土地については昭和二八年頃、各賃借人に対し契約解除の意思表示をし、この意思表示はいずれもその頃各賃借人に到達した。また、(一)乃至(七)の土地の賃貸借は、都市計画実施までの一時使用のためのものであるから、都市計画の実施された遅くとも昭和三一年四月頃には期間が満了した。従つていずれの理由によるも前記各賃借権は消滅しているのである。

ところが被申請人は現在も前記(一)乃至(七)の各土地上に前記賃借権が存するとの前提の下に、右借地人に対しその賃借権の目的となるべき土地を申請人所有の大阪市北区太融寺町二九番地、境内地南西部一七五坪五(以下本件境内地と称する。)に指定し、且つ右(一)乃至(七)の土地上の建物を本件境内地に移すため、昭和三一年四月一八日付書面を以て、申請人に対し別紙目録記載の工作物を同年六月一日までに除却すべき旨の命令をなし、右書面はその頃申請人に到着した。

しかしながら、土地区画整理法七七条の規定により工作物の除却を命ずるためにはその必要がなければならない。ところが前記の如く(一)乃至(七)の土地の賃借権は既に消滅してしまつており、(一)(三)(五)(七)の土地については所定の届出もなされていない。従つて、右地上の建物を本件境内地に移転させる必要なく、本件境内地上の工作物を除去する必要がない。また、その換地処分の時期は現在予測しえない程遠い将来であるのにかかわらず被申請人は、仮換地として、本件境外地の指定を受けた合名会社阪口楼代表者阪口祐三郎の要請によつて、同地上建物を移転させるため本件除却命令をなすに至つたものである。本件境内地は弘法大師の開祖にかゝる由緒ある寺として有名な申請人の境内地である上、同地上には庫裏信徒布教所等の建設を予定している事情にあるから、除却命令をなす必要性の範囲を逸脱している。

また、除却命令をなすには、その前提として仮換地について仮に権利の目的となるべき宅地若しくはその部分を具体的に指定し、且つ右指定地への移転命令をしなければならないのに、本件に於ては右指定及び移転命令をなさずして、除却を命じている。

本件境内地のうち八三坪三二の地上には申請人の総本山たる金剛峯寺が華道会館設立のために昭和二七年頃から工事に着手し、約八〇万円を費し現在基礎工事を完成しているから、本件除却命令の対象には申請人以外の者の所有にかゝる工作物を包含していることになる。

前示理由のいずれによつても、本件除却命令は当然無効であり、仮に無効でないとしても違法であつて取消さるべきものである。そこで申請人は、その無効確認等の訴を大阪地方裁判所に提起したが、このまま推移すれば申請人は右除却命令の執行時期である昭和三一年六月一日の到来とともにその執行をうけ、その結果塀等を取除かれて道路との境界が存在しなくなり、且つ境内地は空地同様となつて市民の深い信仰の対象として存在する由緒ある寺院の尊厳が著しく失墜することとなる。そして行政事件訴訟特例法一〇条二項にいう「償うことのできない損害」とは、金銭で償うことができるとしても、それが著しく困難であつて、社会通念上金銭賠償不能とみられる損害を意味すると解すべきである。従つて申請人は本件除却命令の執行により償うことのできない損害を被るものといわなければならないから、右本案の判決言渡に至るまで本件除却命令の執行停止を求める。

(疎明省略)

被申請人は、右に対する意見として主文第一項と同趣旨の決定を求め、その理由の要旨として次のとおり述べた。

被申請人が申請人に対し、申請人主張のような換地予定地の指定並びに土地区画整理法七七条二項の規定による照会及び通知をしたことは認める。

しかし、同条同項による照会及び通知は除却命令というような法律上の義務を発生させる行政処分でなく、ただ、土地区画整理事業施行者が建築物を自ら移転又は除却するという意思表示の単なる通知と、所有者が自ら移転又は除却する意思があるかどうかを問う照会に過ぎない。

また被申請人は昭和二四年四月二八日本件境内地を本件境外地の仮換地に指定するとともに、本件境外地のうち一七〇坪を合名会社阪口楼の仮換地に指定し、本件境外地の借地権者であつて特別都市計画法四五条の規定による権利の届出をしている藤田建次郎、浦田光信、宮本市太郎及び海妻郁夫の四名の借地権に対し本件境内地上にその範囲を指定した。その他の三名も本件境外地に建物を所有し営業をしているものであつて、右借地権者七名は本件境内地にその建物を移転するため申請人と種々折衝し、被申請人も土地区画整理事業の急速且つ円滑な進行を期するため、申請人と交渉を重ねたが、徒らに日時を空費するのみで、本件境内地への建物の移転は実現しなかつた。このような状況では土地区画整理事業全体の遂行に支障を与え、単なる一個人の不利益にとどまらず、事業の完成を待つている関係住民に多大の不利益を与えている。従つて前記借地権者の建物を本件境内地に速かに移転させることは事業施行の現段階において最も必要であり、これがため、本件境内地の西南部にある別紙目録記載の工作物を除却することが必要となつたものであつて、同法七七条一項の規定に定める場合にあたるものである。

申請人は本件境外地の借地権の有無について前記の者と係争中であるが、本件照会及び通知によつて申請人と前記の者との間の権利関係に何等変動を来すものでなく、現状の権利関係が本件境内地上に再現されるに過ぎない。

申請人は本件除却の対象の一部のコンクリート基礎工事は申請人の所有に属しないと主張するけれども、不動産の定著物として申請人の所有に帰したものである。もし申請人の所有に属しないものとすれば、申請人はこの部分について執行停止を求める利益を有しないこととなる。

本件除却の対象は真壁、板塀、コンクリート基礎工事であるから、これを除却されたとしても、申請人に執行により償うことのできない損害が生ずるものとは、とうてい考えることができない。

もし本件執行停止がなされるとすれば、順次仮換地を指定し、仮換地上に従前の権利と同様な権利状態を発生させ、整然とした街区、道路、公園等の区画整理完成後は換地処分により住民の権利関係を確定し、もつて戦災復興後の市街地の交通、衛生、保安、経済等に関し、永久に公共の安寧を維持し又は福利を増進しようとする都市計画事業は重大な支障を生じ、事業目的達成が不可能となるばかりでなく、関係住民に多大な不利益を与える結果となる。このような事態はまさに行政事件訴訟特例法一〇条二項但書にいう執行の停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼす虞のあるときにあたる。従つて本件申立は却下せられるべきものである。

(疎明省略)

そこで考えるに、行政事件訴訟特例法一〇条二項にいう「処分の執行により生ずべき償うことのできない損害」とは、原状回復不能とみられる損害だけでなく、終局において金銭で償うことができるとしても、それが著しく困難であつて社会通念上金銭賠償不能とみられるような損害をも含むものと解すべきであることは、申請人主張のとおりである。しかしながら、本件除却の対象は別紙目録記載のように真壁、塀、板塀、コンクリート基礎等であつて、申請人が本案訴訟で勝訴した場合にはこれを原状に回復することは可能であり、本件境内地は本件境外地の仮換地に指定されたことにより寺院境内地として使用することができなくなるものであつて、仮にそれがため申請人の境内地が狭くなり信仰の対象としての寺院の尊厳が傷けられることがあるとしても、それは仮換地処分自体の問題であつて、工作物除却の結果ではない。その他、別紙目録記載の工作物を除却することにより申請人に金銭で償うことが著しく困難となるような損害を生ずるものと認めることはできない。そこで本件除却命令の執行停止を求める申請人の本件申請は、その他の争点について判断するまでもなく不当として却下すべきものであるから、主文のとおり決定する。

(裁判官 熊野啓五郎 中島孝信 芦沢正則)

(目録省略)

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